相撲界で活躍し、現在は二子山親方として後進の指導にあたる元大関・雅山。
その現役時代の成績や印象に残るエピソードが、今なお多くの相撲ファンの記憶に刻まれています。
今回は、二子山親方の現役時代の活躍ぶりや成績、そして印象的なエピソードに迫ってみました。
それでは早速本題に入っていきましょう!
二子山親方の現役時代って?

最近、二子山親方が猫好きで、相撲部屋で保護猫の預かりボランティアをされていることなど、猫との触れ合いがTVやインスタで話題になっています。
二子山親方の現役時代はどうっだったのでしょうか?
二子山親方こと元大関・雅山は、現役時代から多くの注目を集めた力士でした。
本名は竹内雅人(たけうち まさと)、四股名は雅山哲士(みやびやま てつし)さんです。
雅山の相撲人生は、小学生時代の「大会で勝ったら焼肉食べ放題」という約束から始まり、相撲大会で優勝したことが、彼の相撲への道を開くきっかけとなったのです。
小学校6年時に担任の先生から「大会で勝ったら、焼肉をいっぱい食べさせてあげるから」と言われ水戸市の少年相撲大会に出場したところ優勝したことで相撲に興味を持ち始める[2]。
雅山は茨城県内にバス路線網を持つ旧茨城交通グループのオーナー一族の御曹司です。
入門時に、父親から「たとえ大成しなくとも、家の会社にコネで入社させたりしない」という厳しい言葉をかけられたことも、雅山の相撲に対する真摯な姿勢を形成する一因となりました。
雅山は「20世紀最後の怪童」「平成の新怪物」という愛称で呼ばれ、その異名の通り、驚異的なスピードで出世を遂げました。
活躍していた頃の成績は?

雅山の成績は、「破竹の勢い」と呼ばれました。
1998年7月場所に初土俵を踏んだ雅山は、わずか5場所で新入幕を果たし、初土俵からたった12場所で大関に昇進しました。
これは史上最速の昇進記録となりました。
その他の輝かしい成績は以下の通りです。
・生涯戦歴:654勝582敗68休(88場所)
・幕内戦歴:599勝563敗68休(82場所)
・優勝記録:十両優勝2回、幕下優勝2回
・三賞受賞:殊勲賞2回、敢闘賞5回、技能賞1回
初土俵の7月場所と翌9月場所の2場所連続で全勝優勝を果たし、同年11月場所では十両に昇進した。その勢いは止まらずに同場所を12勝3敗で3場所連続優勝
特筆すべきは、初土俵から4場所連続優勝を果たしたことです。
また、初土俵からわずか5場所で敢闘賞を受賞し、これも当時の最速記録となりました。
雅山の相撲人生の幕開けは、スピード出世のオンパレードだったのですね。
二子山親方の印象的なエピソードをリサーチ!

雅山の相撲人生には、数々の印象的なエピソードがあります。
まず、異例のスピードでの大関昇進が挙げられます。
通常、大関昇進は理事会で満場一致となるところ、雅山の場合は7対3の賛成多数による決定でした。
「時期尚早」「内容重視」という批判的な声もある中での昇進でした。
場所合計34勝とし、場所後の理事会で大関昇進が決定する。昇進伝達式で雅山は「初心を忘れず、相撲道に精進、努力します」と口上を述べた[13]。初土俵から所要12場所での大関昇進は史上1位のスピード出世である。
次に、雅山の特に印象的なエピソードとして、2003年1月場所の横綱・貴乃花戦での「疑惑の判定」が挙げられます。
この取組は、初戦で雅山が決まり手を決めたかに見えましたが、結局、審判団は取り直しを宣告しました。
再戦の結果、雅山は上手投げで敗れました。
この判定に対し、多くの相撲ファンから疑問の声が上がり、相撲協会には抗議の電話が殺到しました。
また、この取組で雅山は右足を負傷してしまい、その後の相撲人生への影響を与えました。
この出来事は、雅山の現役時代における転機の一つとなり、相撲界全体にも大きな波紋を呼んだエピソードとして記憶されています。
結局、雅山の大関としての在位はわずか8場所と短く、57勝58敗5休という負け越しの成績に終わりました。
陥落後は、怪我の連続に悩まされ、得意の突き押しだけでなく四つ相撲(両力士が互いに相手のまわしを取り、組み合って攻撃する相撲・激しい攻防戦となる)も習得せざるを得なくなり苦しい戦いが続きます。
雅山は、大関からの陥落後、若竹色の廻しを着用します。
「若竹のように、また一からグングン伸びてほしい」という両親の思いが込められたもので、2007年3月場所には横綱・朝青龍から初金星を獲得するなど、輝かしい瞬間もありました。
雅山は、プライベートで2013年6月に1歳11ヶ月の次男を亡くしています。
悲しみの中、2014年2月の引退相撲では、長男が亡き次男の写真を首にかけて土俵入りするという感動的な場面もありました。
雅山は、相撲界でのスピード出世の後、勝て無くなって、相撲での苦難や怪我に加え、プライベートにも悲しい苦難と、様々に大変だった様ですね。
しかし、現在、雅山は二子山親方として、自身の経験を元に、後輩の力士の育成に貢献し、活躍されています。
まとめ
二子山親方(元大関・雅山)の現役時代は、まさに波乱万丈でした。
史上最速の昇進記録を作りながらも、短命大関という挫折を経験。
しかし、68場所という史上最長記録で関脇以下の地位を務めた不屈の精神力は、多くの相撲ファンの心に刻まれています。
現在は二子山親方として、自身の経験を活かしながら次世代の力士育成に尽力しています。
「強い日本人力士を育てたい」という指導方針のもと、すでに複数の関取を育成するなど、その手腕は相撲界でも高く評価されています。
二子山親方の現役時代の栄光と苦難、そして現在の活躍。
人生は山あり、谷ありですね。
これらの経験が、今後の相撲界にどのような影響を与えていくのか、双子山親方の今後も注目していきたいですね!
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